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TMU高大連携室スタッフ

Author:TMU高大連携室スタッフ
東京都立大学、高大連携室のブログ。イベント情報や、高大連携室でのできごとなど、活動記録を中心に掲載します。所属する教員・学生スタッフがそれぞれの視点からつづります。
E-mail:koudairg@tmu.ac.jp

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TMU高大連携室のスタッフブログ
~活動記録とお部屋でのできごと~
院生スタッフに聞く 新年度第1回①「人生で大きかった選択」
こんにちは。
院生スタッフの大西です。
今年度も「院生スタッフに聞く」で、大学生について少しでも知って頂けたらと思います。
定期的に更新していく予定ですので、よろしくお願いいたします。

記念すべき今年度最初のお題は「人生で大きかった選択」です。
まだ院生スタッフも20年程度しか生きていませんが、人それぞれ人生の分岐点になった選択があったはずです。
高校生の進路選択、大学生の日常での選択に少しでも参考になればと思います。
回答させていただくのは、経営システムデザイン学域の大西と、ヘルスプロモーションサイエンス学域の中村です。

よろしくお願いします。


——————————


『人生の選択』

改めましてこんにちは。院生スタッフの大西です。
今回は自分の今までの人生で大きかった選択について書くということで、今まで私がした「選択」について書こうと思います。

①高校からサッカーを始めた事
私は中学まで野球部に所属していました。一つ上の先輩に憧れて小学校からずっと続けていた野球でしたが、高校では新しい事に挑戦しようと思い切ってサッカー部に入部しました。私以外の同期は全員サッカー経験者で始めは3年間続けることすら難しいと思っていましたが、日々必死に練習したこともあり最後の大会ではレギュラーとして試合に出ることができました。
当時はサッカーを純粋に楽しんでいましたが、今考えるとこの選択は大学生活にも大きな影響を与えました。大学では高校での経験を活かしフットサルサークルや社会人サッカー入り、中学時代野球もやっていた私は野球チームでも活躍することが出来ました。色々な競技をしたことで仲間も増え、結果的に豊かな大学生活を送ることができました。

②学生寮に入ったこと
私は大学の一・二年次に首都大学東京の学生寮に所属していました。入寮する前は全く異なる習慣を持つ人たちと生活する事に対して不安でいっぱいでしたが、いざ生活してみると実家暮らしや一人暮らしでは経験できない濃密な時間を過ごすことができました。明け方まで将来のことについて語り合ったり、一緒に朝の清掃活動に参加したりなど毎日が修学旅行のようにあっという間で、新鮮でした。友人も学部・性別・年齢問わず沢山できたおかげで見方によって色々な捉え方があるということがわかり、必ずしも正解は一つではないことに気づきました。人生の背景が違うと反対の意見なのにどの人のいうことも正解に思えてしまいます。寮に入ったことでどんな意見でもその人なりの背景があっての発言だということを考慮して、しっかり最後まで聞いてから自分の意見を言うようになりました。もしあの時学生寮に入る選択をしていなかったら、私の大学生活はもう少し味気ないものになっていたと思います。

まだ20年ちょっとしか生きていない私ですが、特に悩まず決めた選択が後々大きな影響を及ぼすことも多々ありました。進学する大学の選択や新生活で何をするのかの選択など、色々悩むことは良いことだと思います。必要な時は身近な人に相談してみるのもいいと思います。逆にもし自分が相談を受けたら端から否定しないでその意見に至った背景まで聞いてあげてからアドバイスをしてあげてください。


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みなさんはじめまして、修士1年の中村芽莉です。去年まで首都大の生命科学コースに在籍し、早期卒業飛び入学で大学院生になりました。日頃は南大沢キャンパスで筋肉の未知の機能の研究に励んでいます。

さて、私の基盤を作った重要な『人生の選択』は3つあります。自分を形作る大きなきっかけだと思っていますので、年齢が若いことはご了承ください。
 1つめは「恐らく5,6歳の頃に、上海雑技団に入るのを諦めたこと」です。両親の影響もあり私は幼少期から中国に興味を持っていたと思います。ある夕飯時、テレビで上海雑技団員の小・中学生くらいであろう女の子たちが演技を行っているのに、私の目は釘付けになりました。両親が私の興味を察すると、雑技団の子たちが親と離された環境で朝から晩まで身体に無理をさせながら練習をしていることを告げました。またもしその場で活躍するのであれば、少なくとも当時の私の年齢から始める必要があることを教えられました。当時私は身体が柔らかく、そのようなことを知った上でも雑技団に入ることへの憧れは無くなりませんでした。それから丸1日程度、私は親元を離れて中国へ渡り雑技団員になるか、親と過ごして違う職に就くか迷いました。あまりに真剣に迷いすぎて熱を出したほどでした。悩みに悩んだ末、私はとりあえず両親とともに日本で過ごすことを決めました。もしあの時私が雑技団を選んでいたら、今私は自分にとって素晴らしいと思える学部生活を送れなかったでしょうし、研究の面白さには気付けなかったかもしれません。

2つめは「6歳頃に習い事を妹に合わせたこと」。私には1歳半違いの妹がいて、私が6歳の頃に2人とも習い事をはじめよう、ということになりました。体験をした結果空手と公文式の2択になり、妹は公文式を選びました。私は本心では空手を習いたいと思っていましたが、妹より頭が悪い自分が許せず公文式を選びました。今思い返せば、公文式を選んだ理由が年下の妹への反骨精神だというのはいかがなものかと思います。しかし、6歳時で勉強ができなかった私がその後国語や算数を'おもしろい''楽しい'と思え、最終的には大学院に入れたのは言うまでもなく妹と両親のおかげだと思っています。

3つめは「8歳で日能研バッグに憧れたこと」です。今でも街で見かけるあの青いNバッグ。私は小学3年生のときにあのバッグに憧れを持っていました。詳しい理由は分からないのですが、ただただ当時の私にはカッコいい象徴として写っていたのでしょう。そして3年生の2月に念願叶い、日能研生になれました。

ここまで書いて3つ目だけ選択とは少し離れていると感じる方もいらっしゃるかもしれませんが、私には日能研がなければ中学受験はありませんでした。第一志望の中学の合格が無ければ附属高校合格は無かったでしょうし、自分が納得できる大学学部生活を首都大学東京で満喫できなかったと思います。

人生、というとそれはとても偉大なものに感じてしまいます。けれども、ありのままの私たちはこれまでの選択によって形作られているものだと私は考えています。そのため私は、選択、という言葉の重みに飲み込まれすぎず生きることが大切だと思います。

——————————

いかがでしたでしょうか。

院生スタッフに聞いてみたい事がありましたら、気軽にコメントで質問してくださいね。
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